拝啓、時下益々御清祥のこととお慶び申し上げます。

 

2017118日、娘・山村奈央子永眠の際はご鄭重なる御厚志を賜り有難く厚くお礼申し上げます。お陰をもちまして37日「七生院妙施日煌信女」四十九日忌法要を相営みました。

 

 

 

亡娘、山村奈央子は10代の時より月経性随伴性気胸にかかり月に2回位ずつ気胸を起こしておりました。本来なら手術をして治療出来る病気でしたが、麻酔が出来ない為、手術が不可能で止むを得ず付き合っていくしか有りませんでした。毎月、痛みや息苦しい症状と戦って頑張っておりましたが、奈央子の肺に対するダメージが強く、この様な結果と成ってしまいました。きっとウールリッヒ病だけであれば、今も皆様とお会い出来ていたことでしょう。ウールリッヒは肺にダメージを受けがちな病気であるのに、残念な事に別の病いを肺に抱えてしまったのが原因でした。奈央子はウールリッヒが原因で亡くなったわけではありません。それだけはお伝えしたかったのです。手術が出来ない体であったことが残念です。

 

 

 

 奈央子とのお別れの時が近づいている事は、お世話に成った先生方より一年以上前から聞いておりました。お別れという言い方ではなく、いつ緊急事態に成ってもおかしく無い状態であると言う言い方でしたが。先生方とは、その様な事態になった時どのようにしてほしいかを話し合いました。私だけ参加のつもりでしたが、本人の意志で奈央子も同席し人体模型やコピーした図入りの資料を使い説明を受け、本人の意志もお伝えました。

 

 奈央子は毅然とした様子でした。しかし病室に戻った時の後ろ姿がとても辛そうでしたが、その時でさえ一言も泣き言を言いませんでした。主治医の先生の気持ちを読み取れたからと言って気管切開も望まず、呼吸器で対応できない時が自分が生を全うする時と覚悟をしたようです。それでも一縷の望みをかけて、良いと思うことを探し試しました。先生方も奈央子の生きる望みの為にあらゆる手を差し伸べて下さいました。

 

 奈央子のウールリッヒに対する最後のお勤めとして、118日に亡くなり4時間後に臓器を研究に活かしてもらう為に献体させて頂き、午後に自分の部屋に戻りました。帰りは沢山の病院の皆様に見送られました。大好きだった病院なので家族に見送られるような気持ちで奈央子を連れて帰りました。「本当によく頑張ったね」と声をかけながら帰って参りました。

 

 

 

奈央子はウールリッヒの治療が進む事を強く願っておりました。自分のしたかった事が有り過ぎながら叶わない思いと、この辛い症状を後から生まれて来るお子様に味あわせることが耐えられないと申しておりました。これは本人が味わっているからこその思いだと思います。高校生の頃、私は奈央子から「今に自分の体を献体に出してこの病気の研究に生かしてほしい」と言われたことが有ります。私は、「そんな事受け入れることは出来ないかも?」と返事をしておりました。しかし、常日頃の奈央子の生き方を見ていると真剣に考えていることが伺われ、家族としては辛い気持ちもありましたが最終的には献体に提供させて頂き本人の希望を尊重させる事にしました。

 

 

 

 生前、お世話になった皆さまありがとうございました。私は勿論のこと、奈央子の姉も会のお手伝いをさせて頂きたいと思っております。今後とも、よろしくお願い致します。

                                                   敬具                    

                                                                                                                       (母)山村 秀子

 

【葬儀のご報告】

 

 

 

 

 

奈央子の好きなピンクや白のお花を選びました。

          祭壇も奈央子の好きなカラーにしました。

         サンリオが好きだったので、そのイメージで         

         作ってもらいました。

ギャラリーを作り仕事や趣味の作品を飾りました。

名刺やポスター等のデザイン作成、英国の生地リバティを使ったオーダーメイドのお店の運営を仕事として行っておりました。

趣味は沢山あり、晩年は折り紙や小物づくりに熱中しておりました。

 お菓子作りも晩年の趣味で、沢山作っては友人や家族にプレゼントしていました。

 サンリオが大好きで、特にマイメロが好きだったので式場の至るところにマイメロを配置しました。

沢山の供花、電報を頂きました。

 

 沢山の友人に見送られ、奈央子らしい葬儀を行う事ができました。生前から、葬儀は沢山の友人を呼び盛大に行って欲しい!と申しておりましたので、きっと本人も満足のいく式であったと思います。

 

 お世話になった皆さまありがとうございました。